長女がまだ赤ちゃんのときに法事に参加(?)したときのこと。
室内のおばあさま方がこぞってあやしに集まった。それはもう、みんな満面の笑みで、突いたり、抱っこしたり、話しかけたり、今の状況下ではありえない『集団あやし』。
お経終わりの説法で、お坊さんがそのことについて話されたことが印象的だった。
「大勢の大人が一人の赤ちゃんをあやしてあげていると思っているでしょうが、実は、一人の赤ちゃんが大勢の大人をあやしてくれているのです。その証拠に、皆さん笑顔ですごく嬉しそうにしていました。」
状況を思い返せば、まさにそう。
おばあさま方は完全にあやされてあげていた。
おばあさま方の心をあそこまで摑むのは、赤ちゃんと毒蝮三太夫くらい。
置き換えれば誰もが、
教えているようで、教えられており、
育てているようで、育てられており、
支えているようで、支えられている。
そう捉えれば、堂々と教われる。