03 / 18

心を亡くす。

忙しくさせて頂いていることは本当に有難いことだけど、ちょっと最近、余白が無くなり過ぎていたので、昨日は久々の早朝裏山散歩。

 

暖かい気候、木漏れ日の中からウグイスの鳴き声が。

「あれ?昨日まで独房に閉じ込められてたっけ?」というくらいの心の開放感。

 

次々いただく相談事に没頭するあまりに、季節の移り変わりすら見落としていたみたい。(お持ち頂いている方々すみません、只今進めております。)

 

”「忙しい」という字は、「心」を「亡くす」と書くんです。”と某歌舞伎役者AB蔵さんが以前テレビで言っていた。

確かに。

 

 

このマイパワースポットの裏山で、深呼吸しながら凝り固まった体を動かし歩いていると心が蘇生され、今の状況を活かすための新たなビジョンが「ピロピロリーン」と音を立て次々に浮かんできた。

 

あとは、近いうちにこれを絵に起こしていく。(絵にすると実現されてしまうというあくまで個人的論理。これについてはまた後日。)

 

お付合いさせてもらっている会社の方々も皆ギュウギュウのパンパンのようなので、皆さんも時間を割いて開放的な山や海で体を動かしてみてください。

 

 

02 / 09

君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない。

「君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない。」

というキャッチコピーの本にドッキーーッ!させられ購入したのは、かれこれ3年近くも前のこと。(『広告|恋する芸術と科学』というのが本の名前?)

君の言っていることはすべて正しいが面白くない。

その中の一文を以下に抜粋。

ぼくたちの住む世界は、人生は、非連続でドキドキする「面白い」ことで、すみからすみまで満ちている。一方で、合意を前提とする、あるいは目的とするような環境においては、論理的で、客観的で、過去踏襲的な「正しい」ことが、どうしても勝ち残ってしまう。”と書かれていた。

 

 

このようなことは本当によく起こる。「子供では絶対間違わないような問題を、大人になるといとも簡単に間違えてしまう。」という言葉にもピッタリ当てはまる。

 

結局、大人になり賢くなると「直感」を疑い、「論理的」に分析していき、自分の心との対話を怠るようになるのだと思う。はじめはワクワクドキドキしたことに対し、時間が経つにつれ、回数を重ねるにつれ、その鮮度は失われ、論理的に答えを出そうとする。

 

そもそも「直感」は「山勘」は全く別物らしい。「直感」は、これまで生きてきた経験の中で、脳・心・体に刻まれたバランス感覚的なもの。とっさの反応のようで実は長い経験から判断されているもの。だからか、直感から脱し論理的に物事を進めている時のシックリこない感はハンパない。(それでいて失敗した時の後悔ったら、さらにハンパない。)

 

今後、「正しい」を判断していくものは、近いうちにすべてAI(人工知能)に置き換わるだろうから、「面白い」を考えていきたい。

 

正しいけど面白くない

 

 

 

12 / 20

日曜大工

今日は休日用の内容で、自宅中庭・枯山水プロジェクトの進捗。

 

といっても、中庭自体は手がつけられてなく、先々週田舎で作ったレーキ(砂紋をかく道具)の話。

 

 

1、木の板をキザキザに切ります。

レーキ1

 

2、穴あけて、切って、組み立てて完成。

レーキ4

 

レーキ3

 

レーキ2

 

 

板と棒の接合は、麻紐をかませて楔(くさび)を打って固定。

大きいの方は、強度を増すために筋交い補強。

そして背面に砂を平らにならすための板を装着。

 

 

キザキザに切った木片は、絵を描いて子供のおもちゃに。

木のおもちゃ