「何という今だ 今こそ永遠」
これは、陶芸家・河井寛次郎の言葉。
(河井寛次郎は、陶芸以外にも、彫刻、書、詩、金属、民藝運動等を精力的に行った人。)
かなり昔に、友人(広島激辛つけ麺魂を捨て京都に移住した)に薦められ、
何の予備知識もなく河井寛次郎記念館を訪れた。
自身で設計したという自宅兼仕事場をそのまま記念館として残しており、
ユニークな間取りと動線、中庭と登り窯、そしてぶっとんだ展示品が、
不思議な違和感を感じさせ面白かった。
訪問した当時は陶芸には何の知識も関心も無かったが、
なぜか2年前の同時期に陶芸をやってもいない二人から別々に陶芸を薦められ、
「腰は重たく」がポリシーの自分が、なぜかやり始めて今に至る。
そして最近、ふとその存在を思い出し「河井寛次郎の宇宙」という書籍を購入した。
その見開き一番に「何という今だ 今こそ永遠」とのメッセージが。
何というメッセージだ・・・
本人がどのような意を込めて書いたかは分からないが、
この中には明らかに「情熱」という言葉が込められているように思う。
「情熱」という言葉を使わずに、ここまで「情熱」を表現できていることが凄い。
本書の中に、以下のような記述がある。
“時代を超えた強靭な思考力と哲学、思想の深さ・・・。
それらのものが天性の美意識でコーティングされ、
他の追随を許さぬミクロコスモスを造り上げた。”
まさにテキストでもビジュアルでも、メッセージを伝えるのに必要なのは、
”論理的な説明”ではなく”深い思想からの美意識”だと感じた。
今後、オペレーター的な処理業務や正解をはじき出す業務はAIに取って代わられる中、「動物的」「直感的」「左脳的」「感情的」なクリエイティブな要素が注目されている。
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プライベートでは、
毎食時に三姉妹のコップを間違えてしまうので、
それぞれの名前を散りばめたデザインと、
大中小のサイズを組み合わせたものを作陶した。
これで誰も置き間違えることはなくなった。
(記事上部のアイキャッチ画像参照)
色が地味だけどどうかな?と懸念したが3人とも大喜び。
日頃は、三者三様のキチガイっぷりに育児ノイローゼになりそうだけど、
この小さなコップを使える時間もあっという間に過ぎ去るのかと思うと、
「何という今だ 今こそ永遠」と思うことで幸せだということにした。