「正しい」VS「面白い」

02 / 09

君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない。

「君の言っていることはすべて正しいけど、面白くない。」

というキャッチコピーの本にドッキーーッ!させられ購入したのは、かれこれ3年近くも前のこと。(『広告|恋する芸術と科学』というのが本の名前?)

君の言っていることはすべて正しいが面白くない。

その中の一文を以下に抜粋。

ぼくたちの住む世界は、人生は、非連続でドキドキする「面白い」ことで、すみからすみまで満ちている。一方で、合意を前提とする、あるいは目的とするような環境においては、論理的で、客観的で、過去踏襲的な「正しい」ことが、どうしても勝ち残ってしまう。”と書かれていた。

 

 

このようなことは本当によく起こる。「子供では絶対間違わないような問題を、大人になるといとも簡単に間違えてしまう。」という言葉にもピッタリ当てはまる。

 

結局、大人になり賢くなると「直感」を疑い、「論理的」に分析していき、自分の心との対話を怠るようになるのだと思う。はじめはワクワクドキドキしたことに対し、時間が経つにつれ、回数を重ねるにつれ、その鮮度は失われ、論理的に答えを出そうとする。

 

そもそも「直感」は「山勘」は全く別物らしい。「直感」は、これまで生きてきた経験の中で、脳・心・体に刻まれたバランス感覚的なもの。とっさの反応のようで実は長い経験から判断されているもの。だからか、直感から脱し論理的に物事を進めている時のシックリこない感はハンパない。(それでいて失敗した時の後悔ったら、さらにハンパない。)

 

今後、「正しい」を判断していくものは、近いうちにすべてAI(人工知能)に置き換わるだろうから、「面白い」を考えていきたい。

 

正しいけど面白くない