01 / 09

降り龍から昇り龍へ。

昨年のとんどで、妻の手違いから『降り龍』を放ってしまった結果、急に教員、講師、アドバイザーなどの教育・指導系へと大きく傾いた。そんな一年だった。おそるべし降り龍&とんど。

※【降り龍(くだりりゅう)】天に昇った龍が知恵の宝珠を手に入れて降臨し、その知恵を地上へ教えひろめる。

 

上記概要のような立派なものではないのだけど、現段階で自分自身が方々から授かった学びを次の人たちへ伝道するといったレベルでやらせてもらっており、個人的にはそこから次の学びや気付きも多く、まさにこれ自体授かり中だと感じる。

 

その半面、ほんの数年前までは、自分より年上の人と接することが多かったが、気がつけば周囲の社長や役職の方もバリバリ世代の30代が増え、そこへ生徒やスタッフが20代前半〜半ばとなると、「あれ?あれれ?」となってくる。

 

まだまだ、現フェーズでの学び要素も山積状態、控える次フェーズにおいては赤ちゃんレベルなのに、教えることに意識が傾きすぎると自分の伸び代確保自体が難しくなる。

 

降り龍はあと数年は継続だが、今年はプロジェクト系等スタートするので昇り竜にシフトしていこう。(と言いつつ、無意識に降り龍を描いてしまっている…。)

 

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「私はバカだから…。」

※ページ下部に二女の直筆日記を掲載しています。

「私はバカだから…。」

 

これは、現在小4の二女(以下、『K』)と昨年なにげなく会話していたの中で、彼女がボソッ発した言葉。僕は、ゾクッ(ヤバイ!)と一瞬で全身凍りついた。

 

 

僕「Kはバカじゃない!なんでそう思うんだ!?」

 

K「…。だって勉強できんし、N(長女)がいつもバカだバカだって言うもん。」

 

僕「本当にそう思っとんか!?」

 

K「うん。バカだと思う…。」

 

僕(ひぇ〜。ゾクゾク倍増…)
「あのね、バカなやつが、Kみたいな絵や工作の作品をつくれるか!?それで周囲の大人たちを毎回驚かせることができるか!?頭や心が良くないとそんなことはできないんだぞ!」

 

僕「自分で自分をバカだと信じたら本当にバカになるぞ!自分の作ってきた作品を思い出してみろ!」

(あ〜だ、こ〜だ、中略)

僕「これって、すごくないか!?」

 

K「すごいと思う!」

 

僕「だろ!他の誰にもマネできんと思わんか!?」

 

K「できん!」

 

僕「じゃあ、『Kは頭が良い!』って言え!」

 

K「Kは頭が良い…。」

 

僕「声が小さい!!」

 

K「Kは頭が良い!」

 

僕「本当か?Kはバカなんじゃないのか?」

 

K「Kは頭が良いんだよ!!バカにあんなすごい作品が作れるか!」

 

僕(うわ〜、180度変わっちゃったよ〜。違う意味でヤバイ。)

 

 

そこから、二女はふつうに勉強ができるようになった笑。難しい問題にぶち当たった際に、できない理由を「私は頭が悪いから」というものに当てはめてきた回路が無くなったのだと思う。

 

「私は頭が良いからできるはず。」「どうやったら解けるのだろう。」という回路に切り替わったのだろう。

 

勉強に対する姿勢も発する言葉も前向きになった。言霊は強烈でそこから生じるコミュニケーションで、上昇キャッチボールと下降キャッチボールで、自己暗示は既成事実として細胞レベルで植え付けられる。良いものも悪いものもそれを長年蓄積していく。

 

人間は、同じ環境で同じものを見てても、その人の受け取り方しだいでその景色はバラ色にも灰色にも変わる。同じ状況で、同じ体験をしていても楽園にも地獄にも変わる。卵が先か?鶏が先か?みたいな感じで、バラ色&楽園モードで受け取ったら、うまくいき始め、結果楽しくなり、成功体験で好奇心が上がるというサイクルに突入できることは事実。

 

小さいときや若いときほど、思い込みの力は強烈で、そのまま大人になると取り返しがつかなくなるので、冒頭の「私はバカだから…。」に恐怖を感じた。比較的早めに気づき、ひとまず基礎修正できた(?)かと思う。

 

 

 

そして先日、二人で寝たときの会話。

 

K「大きくなったら、絵や工作の仕事をしたい。どうしたらいい?」

 

僕「今のまま、好奇心をもって、続けていけばいいんじゃない?」

 

K「絵だけをやりたいんよね。」

 

僕「絵だけでいきたいんだったら、総合力が要るよ。」
(あ〜だ、こ〜だ、中略)

 

僕「あと、環境は大事。」
(あ〜だ、こ〜だ、中略)

 

僕「だから結論、勉強もセットなんよ。」

 

K「へぇ〜。わかった!」

 

 

その数日後、長女からこっそりと二女のノートを渡された。長女はがんばり屋でプレゼン上手なので、今まで何度も感動させられてきたが、あのぐうたらな二女がこんなことを書くなんて、と初めてウルッときてしまった。(中盤、少しイタイところもあるが。)

 

人生はデザイン
宿題でもなんでもなく、急に書き出したくなったんだとか。なんとか説得して写真を撮らせてもらった。

11 / 02

課題と1UP!

学生でも、社会人でも、人生においても、『課題』というものは永遠に降ってくる。

 

前向きに取り組みクリアすれば、「お、もっとできそうだね」と、より有意義な課題が天から降ってくる。クリアする度になにかしらの能力が備わり、次レベルの権限が付与され、恩恵もおまけとして付いてくる。

 

ただ、たとえ課題クリアしても、姿勢が後向きであれば、「まぁ、できたね。でも、もう一回やっておこうか」と、姿勢を変えない限り永遠に同レベルの課題が降ってくる。手慣れてくるけど徐々にモチベーションが落ちていく。

 

そもそも課題に向き合うことすらしなければ、「君には難しいかったのかもね。」と、より低い意義の課題にまとわりつかれ、そのうち虚無感に飲み込まれる。

 

 

『課題』という言葉は不思議なもので、クリアして行けば行くほどポジティブな存在になり、逃げれば逃げるほどネガティブな存在になる。

 

ゲーム感覚で、1UP!みたいな感じで気楽にやっていれば、いつの間にか『課題』はポジティブな存在となり、人生の良きスパイスになってくれる。

 

重要なのは、課題自体が評価されるのではなく、取り組む姿勢、達成までの過程、その先に見える伸び代が評価の基準であり価値があるということ。そして、自分にとって重要な人たち(未だ見ぬ人含む)はずっとそれらを影から見守っていてくれており、ある時ふと手を差し伸べてくれる。

 

それが、課題と評価。

 

 

走行中(助手席)、橋の上から。スマホで手ブレブレだけどなんかイイ。※写真と本文は一切関係ありません。